12月 3rd, 2011 6:06 PM

新しい視点を与えてくれました。以下長いですが、抜粋を紹介します。 日本人が影響を受けた西欧の近代思想では、宗教というものは、世界や人間存在をどうとらえるかという問題を中核として、理解すべこものとされることが多かったために、仏教について考える時にも、根本仏教の思想とは何か、日本仏教各宗派の教義にはいかなる差異があるか、といった議論ばかりが先行し、近世までの日本人の間にあった「仏法」というものを明らかにすることは、かえりみられなかった。

……さらに、日本人のキリスト教・イスラム教に対する知識が、教義を中心にした、観念的なものにとどまって具体性を欠いていることが多かったために、また、近代的な立場で宗教を理解しようとした人々の間では、儀式や行事の意味が軽視されることが多かったために、雑多な内容を含み、時には神仏混淆の混沌としたありようを示す儀式・行事を無視して、仏教史を考える傾向が助長されることになった。……「仏法」は、仏像・寺院・僧・行事というような、人々が見聞しそれに接することのできる、具体的なものを指すことばであった。……一般の日本人にとって仏法とは、まずは寺院とそこに住む僧たちのことであり、毎日繰り返される行事や、造寺造像の功成った時に行われる供養の法会、また日々僧たちがつとめている作法などとして、認識され、存在していたのである。……そういつ面から考えてくれば、仏教のさまざまな行事、作法を細部にわたって具体的に知り、仏法について豊かな知識を持つことは、広い視野のなかで日本の仏教史、文化史を考えるために、不可欠であることであることが、了解されるであろう。他方、仏教の理解は、まずは教理・経論からという立場に立つとすれば、年中行事や、儀式作法は、仏教の本質からは遠いことがらであり、それについて考えるのは、民俗学などの仕事であるということになろうか。仏教史、文化史の理解を豊にするためには、儀式や行事の中に思想を読みとるだけでなく、儀式や行事そのものを直視し、「仏法」ということばで考えられていたものが何であるのかを明らかにすることが、必要なのではあるまいか。(一七七〜一七九頁) 日本史の研究上では、これまで宗教というものを、まずは教典や教義の面からだけ考えて、さまざまな面を持つ宗教活動に目を向けることを避け、宗教の歴史を、主に教義と教団の歴史として考えて、信心と信仰の歴史を多面的・具体的に捉えようと努力することに欠けていた。歴史の中で重要な役割を果たす宗教の問題を、教義の歴史としてしか考えなかったり、教団の消長としてしか見なかったりするのでは、浮かび上がってくるのは、思想史と政治史や経済史に関わる痩せ細った宗教史でしかないだろう。

宗教の歴史は、もつと複雑で豊なものであるに違いない。(二〇六頁)。

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